子ども若者の課題や生きづらさに対して、とてもとても少ない人材で多くのケースと向き合わないといけない難しさに、朝から絶望感と不安感とどうしようも出来ない歯痒さを感じながら、札幌から青森に向かう道中。
困った。
間違いなく言えることは、子どもの育ち環境(特に乳幼児期)がしっかり保証されないまま
ちゃんと生きないといけない
ちゃんと学校に行かないといけない
ちゃんと筋を通さないといけない
という地域の大人や町の雰囲気に追い詰められてきた子達であること。
そして、ちゃんとさせたい大人たちも、そうした考え方や生き方をしてきた中で、一生懸命向き合っているからこそ簡単な話ではないこと。
公的機関の方々は、行政の性質の中でやれるだけ奮闘し続けてくれている。そこには感謝しかない。
けれども、そこのセーフティネットをすり抜けてしまったり、意図してすり抜けたい背景がある方々は、とてつもない生きづらさを抱えて、圧倒的な量と課題を抱えこちらに頼ってくる。
その時に民間は何をやれるのだろう…
やっている方々は限界を超えてやり続けて疲弊したり、共依存や資金も人生も共倒れは珍しくないし、やっている方々の足を引っ張り合う民間の姿も珍しくない。
今年も去年もその前の川崎も含め、度々子ども若者の切ないニュースが流れる中で、行政への批判はするけれども、その次のステップにはいかずに只々行政を叩き疲弊させている空気が漂っている。
たしかに叩きやすい、文句も言いたくなる、ふざけるなと心の底から思うこともあるけれども、それは自分たち民間側にはもっと思う。
先日、行政の会議に参加した時にもまた思った。
いつものように平気で眠ってしまう委員
本当に一言も意見を言わないで終わる委員
会議以外の場では口達者な委員
そうした方々が8〜9割。
何年も何年も同じ。
ということは自分もそこに参加しているわけで、自分もちゃんとその雰囲気を変えられていないから対して人のことは言えない。
でも、そうした町で子どもが豊かに育つわけがない。
どうせ行政やお固い人に言ったって変わらない。と言った瞬間に、子どもや若者のことを放り投げ、まちづくりすらも人ごとにしている。
この8年間、大きく社会は変わらないし、たくさん苦しい思いもしたし、文句もあったし、喧嘩もしたし、ふざけるなと思ったけれども、それでも「どうせ言ったって変わらない」とは思えるわけがない。
それを関わっている子どもや若者たちに言えるはずがないし、そんな大人像を伝えていきたくない。
行政と仲良くなれとは言わないが、せめて健康的な議論をし続けて欲しい。
行政がどうという以上に大事なのは民度の話。
民度の話はとても突きつけられるので人に言うことではないと思っているけど、やっぱりここに戻ってくる。
そうした視点を増やすべく、やってきたつもりだけれども、まだまだ足りない。
子どもや若者たちは待ってくれない
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・鎌倉市役所一連の不祥事
↑松尾市長がコンプラィアンス意識が無いのでどうにもなりません。
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