◆3.11を忘れない、災害復興交流団体鎌倉とどけ隊長嶋竜弘
「災害復興交流団体鎌倉とどけ隊」
大震災で犠牲となられた方々にあらためて哀悼の意を表しますとともに、今なお不自由な生活を余儀なくされている皆様方に、心からお見舞いを申し上げます。 また被災地の皆様が平穏な日々を取り戻し 真の復興・再生が実現されるよう心よりお祈り申し上げます。
2023年3月11日共同代表 : 森下しんじ、長嶋竜弘
〇震災後の真実を被災者の三浦友幸気仙沼市議に伺った:暴露TV26(3月8日放送)
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自らが母親を亡くし、家を流された被災者である三浦市議に、震災当日の様子から、その後の復興の様々な苦労を語っていただきました。
〇あの日、私は津波にのまれた 町長が語る「拾った命」
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2011年3月11日。宮城県南三陸町は東日本大震災の津波に襲われ、市街地が壊滅。831人が犠牲になった。あの日、町防災対策庁舎で指揮を執っていた町長の佐藤仁(69)も屋上で津波にのまれ、死にかけた。職員ら43人も失った。あれから10年。住宅や公共施設の高台移転は進み、復興事業はゴールが見えた。目の前のエネルギッシュな首長が、死線をくぐり抜けた生き残りであることを知る人も少なくなった。人口1万2千の小さな町で、陣頭に立ち続けてきた指揮官の胸の内を紹介する。
🚨3.11を忘れない、災害復興交流団体鎌倉とどけ隊 長嶋竜弘
2011年3月30日(水)夕刻、長嶋は南三陸のアリーナの一室で、佐藤仁町長に会って、松尾市長からの手紙を渡し、ご本人から直接話しを聞いた。気仙沼から南三陸にかけての信じられない光景を目の当たりした後の佐藤町長のお話し、私は黙っている訳にはいかず突き動かされた。
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その後「災害復興交流団体鎌倉とどけ隊」を結成して、仲間と被災地に何度も向かった。
「支援」では無く「交流」と言う言葉をあえて使って活動した。
この活動で知りあった方々は、私にとってはもう田舎の親戚と言っても良い。ずっとわすれない。当然また行く。
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